ビオメハニカと非非

来月から、「メイエルホリドの演劇と生涯展 没後70年・復権55年」と題されたイベントが、早稲田の地で開催される。昭和38年からの用地買収によって、安永八年に日行青山こと高田藤四郎が築いた江戸時代で最も古い「高田富士」(丸藤講)を打ち崩し、「水稲荷神社」を自己所有の土地へと交換移転させた早稲田大学内で、である。

©ロシア連邦演劇人同盟中央学術図書館  ©早稲田大学演劇博物館

豊島重之のディスカッション出演のみならず、ワンステージ限りとはいえモレキュラーシアター「バレエ・ビオメハニカ」公演が決定したことに、マニアは感涙を抑えられまい。特に、2007年に青森県立美術館ギャラリーで公演された「バレエ・ビオメハニカ」を観る機会がなかったマニアにとっては、尚更である。

BB 2007 photo by ICANOF

しかし今回の公演は、白昼、早稲田大学の「教室」(実習室)で行われる。当然ながら多目的ホールや劇場とは条件が異なる。

凡百の演出家ならば、ここで金を使ってでも許容しうるレベルまで条件を揃え/整えて「作品」を「公演」(再演)しようと試みるだろうが、他でもない豊島のことだ、そのような凡庸かつ批評性を欠いた手をとるはずもあるまい。

ましてや、豊島とモレキュラーは「BBB」と「マウスト」をも経過してきているのだ。
BBからBBBへ、そして再度BBへ。

とすれば、如何なる(新たな)アプローチと簡明ならざる実験をもって問題を露天に引き摺り出し、炙り出し、観ることを切り裂き、予測不能な危機の一閃を提示して、現実と切り結んでくるのか興味は尽きない。

モレキュラーマニアを自任/自認する向きは、「バレエ・ビオメハニカ」公演で用いられるテクストのうち、入手可能な「メイエルホリドベストセレクション」(諌早・浦・亀山/作品社)と今回の公演キャッチとして挙げられている「大審問官スターリン」(亀山郁夫/小学館)はもちろん、豊島による直近の長大な論文(百枚!)「不審船 二歩と二風のフーガ」(「アートポリティクス」収録/論創社)および今回の公演のアフタートークともつながる「演劇のアポトージス第四章《ハエを呑み込む口が、ハエの口に呑み込まれるにはどうすればいい》」を幾度となく咬み締めながら、時を待つべし。

ところで、メイエルホリドの銃殺から十一年後の様子を、ニコライ・ニコラーエヴィチ・カレートニコフは、次のように書いた。

Nikolai Karetnikov, Composer

一九五一年秋に、ヴィサリオーン・シェバリーンは音楽院に復職した。一九五二年の春、彼の弟子のひとりが「スケルツォ」を作曲した。このできごとはさながら地雷の炸裂みたいなものだった。音楽院の作曲科や楽理科は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。

なんたることだろう! 「V・ムラデリのオペラ『偉大な友情』について」という党中央委員会決議が出されてから、わずか四年しかたっていないというのに、一学生(!)が果敢にも、一箇所で何度もくりかえされる[不協和の音程の]七度(セティエーム)があるような曲を作ろうとは。ある人々の意見では、それは大胆不敵な壮挙であり、べつの人々の意見では、犯罪行為以外のなにものでもないということになった。

(「モスクワの前衛音楽家 芸術と権力をめぐる52の断章」ニコライ・カレートニコフ/杉里直人訳/新評論)

七度音程の使用がこうした「問題」になることは、現在からはもちろん、同時代の西欧においても想像し難い。
この党中央委員会決議については、訳者の杉里直人が次のような脚注と解説を書いている。

『V・ムラデリのオペラ「偉大な友情」について』(一九四八年二月十八日:党中央委員会決議)は、音楽における〈形式主義〉に恥辱の烙印をおし、なによりショタスタコーヴィチとプロコフィエフを標的にしていた(原註)
この事件に端を発するいわゆる〈ジダーノフ批判〉の結果、ショスタコーヴィチ、プロコフィエフ、シェバリーン、ミャスコフスキーなどは、音楽院教授その他の公職を解かれ、ほぼすべての作品が数年間にわたり演奏されず、新作は国家に買いあげられず、スターリンを賛美するような作品の制作を強いられた。

一九四八年一月に、グルジアの作曲家ムラデリのオペラ「偉大な友情」における民謡の処理が形式主義的だとして非難されたことから粛清ははじまった。ムラデリのオペラ自体はとるにたらぬ作品で、彼は民謡好きのスターリンの歓心を買うために、カフカースの舞踏歌《レズギンカ》をふんだんに取り入れたのだが、メロディが期待はずれでスターリンを激昂させてしまう。こうした太鼓持ちまがいのお調子者の専制君主への迎合が、音楽界全体を揺るがせる《ジダーノフ批判》の発端となったのである。

(略)

集会や会議がくりかえし開かれ、雑誌・新聞紙上で大々的なキャンペーンが展開されて、あらゆる機会に、無調や不協和音の追放「美と優雅」の追求メロディとハーモニーの重視民族音楽の正しい活用、グリンカ、チャイコフスキー、ムソルグスキーなど古典作曲家の伝統の継承が不可欠だと、「人民の要望」のもとに声高らかに叫ばれたのである。
ちなみに、一九八九年にあらたに発見されたショスタコーヴィチの風刺的カンタータ『ラヨーク』は、この時代の形式主義告発の集会を素材にしたもので、ナンセンスなスローガンを反復するしか能のない登場人物たちの歌詞はスターリン、ジダーノフらの当時の発言をコラージュし、曲も古典音楽や民謡を大胆に引用したもので、ショスタコーヴィチの辛辣さ、イロニークな風刺精神がいかんなく発揮されている。

(略)

たとえば、新ウィーン楽派やストラヴィンスキー ――この時代に彼は《アメリカ帝国主義の走狗》、《カトリック教会の腰巾着》と口汚く罵られていた―― の演奏を望んだピアニストは、数年間にわたり演奏会も録音も禁じられ、音楽教育は硬直化して、マーラーは「反動的、ブルジョワ的」のひとことでかたづけられ、あるいは、音楽院の学生が不協和音を用いた曲を書いたばかりに、作曲家同盟から派遣された文化官僚による査問委員会が開かれ、作曲者の学生ばかりか、同じ師に学んでいた弟子たちも尋問される。はたまた、ストラヴィンスキーの楽譜を持ち歩いていた学生は、クラスメートによって当局に密告され、あやうく放校の憂き目にあいそうになるといった惨憺たるありさまは、本書に証言されているとおりである。(太字は妄想子による)

上記の「ラヨーク」(「Anti-Formalist Rayok」)は、《ジダーノフ批判》の年、つまり1948年に着手された。

亀山郁夫の「大審問官スターリン」によれば、一九四七年十二月中旬に党中央委員会に届けられた秘密書簡「ソビエト音楽の発展における欠点について」の中で、ムラデリの十月革命三十周年記念オペラ「大いなる友情(亀山訳)」について、オペラにおいて革命の指導勢力がロシア人でなく山岳民族(レズギン人、オセチア人)であるとした歴史理解、アリアでアルジョニキッゼを山岳民の領袖として描きながらなおかつ彼自身がレーニンとスターリンの使者であるとくり返し唱えている点、ロシア人を音楽的に性格づける民族的な色彩が欠けていることなどが指摘されていたとのことだが、翌年ジダーノフに呼び出されたムラデリが「ソビエト音楽の好ましからざる状況」を生み出している張本人はショスタコーヴィチだと言明した、というのは興味深い。

「反動的、ブルジョワ的」とされたマーラーについては、カレートニコフは次のように書いている。

教育課程
助教授は教室に入ってくると、譜面台にマーラーの交響曲第四番の総譜をおき、最初のページを開いて言った。
――諸君! 今回はオーストリアの作曲家マーラーだ。一八六〇年生まれ、一九一一年没。プラハ、ハンブルク、ウィーンのオペラ劇場の首席指揮者だった。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者もつとめた。十曲の交響曲と、五つのオーケストラ伴奏つきの歌曲集を作曲した。この作曲家は、反動的、ブルジョワ的、スタティクである。――助教授はスコアを閉じて、脇においた。――では、つづいてリヒャルト・シュトラウスに移るとしよう。
こうしてわれわれは、一九五一年にマーラーを《学習した》。(前掲書)

カレートニコフがマーラーを「学習した」同じ頃、パリでは、若き「怒れる」ブーレーズが、アルトー「演劇とその分身」からも影響を受けながら記念碑的作品「第二ピアノソナタ」(1948)を書いた後、セリエリスム・アンテグラルに突入し「二台のピアノのためのストリュクチュール」(1952)を書いていた。同じパリにおいてミュージック・コンクレートがシェフェールによって創始(1948)され、ケルンのNWDR放送局でアイメルトが電子音楽を開始(1951)し、ニューヨークのコロンビア大学スタジオでは、ウサチェフスキとルーニングによって電子音(テープ)と楽器の同時演奏という形態の作品が生み出されていた。同じくニューヨークでは、ケージがプリペアドピアノのための「ソナタとインターリュード」(1948)やチャンス・オペレーションを取り入れた「易の音楽」(1951)を書き、「不確定性」前夜にいた。

photo by Smerus, from Wikimedia

ブーレーズ、シュトックハウゼンと並ぶ「ダルムシュタット前衛三羽烏」ルイジ・ノーノは、政治的姿勢を鮮明に打ち出した作品、たとえば同時期で言えば「ガルシア・ロルカへの墓碑銘 Tre epitaffi per Federico García Lorca」(1951-1953)や合唱と管弦楽のための「ゲルニカの勝利 La Victoire de Guernica 」(1954)などで知られる作曲家だが、イタリア共産党員でもあり、ソ連を訪問していた唯一の西欧前衛作曲家とされている。その時の様子は、カレートニコフによれば、

〜背広を脱ぎ、白いワイシャツ姿で部屋を足早に歩きまわりながら、頭をかかえて、フランス語で叫んでいた。
――どうして、わたしはこんなところに来たんだ? ここじゃあ、なんてことが起こるんだ? なんたる悪夢、これじゃあ、まるで気ちがい病院だ! わたしにはさっぱり理解できない! ヴェネツィアでおとなしくしていれば、こんな悲しい思いをしなくてすんだのに! なんたる時間の浪費! いったい、これはどういうことなんだ?
――でも、わたしにはさっぱり理解できない! わたしはショスタコーヴィチと会見できるよう、フレンニコフに頼んだ。すると、フレンニコフは、ショスタコーヴィチはレニングラードに出かけていて、いないという言うんだ。そのあと、作曲家同盟でわたしが偶然、どこかのドアを開けると、その部屋にいるショスタコーヴィチに出くわした・・・。わたしはロジェストヴェンスキーに会えるように頼んだ。すると、フレンニコフは、ロジェストヴェンスキーは足を折って入院中だと言うんだ。よもやと思って、電話をかけてみると、ロジェストヴェンスキーは家にいた・・・。いったいぜんたい、どうしてこんなことになるんだい? いったいなぜ?(前掲書)

といった状況だったようだ。

ノーノは、西洋音楽における現代音楽の系譜の中で最も重要な作曲家のひとりだが、未だに研究書はおろか英語の文献すらほとんどない上に、作品が演奏されることも少ない。

日本では「東北に文化なし」と言い放った佐治敬三(東北熊襲発言)率いるサントリーホールの委嘱による作品「進むべき道はない、だが進まなければならない…アンドレイ・タルコフスキー 2° No hay caminos, hay que caminar…..Andrej Tarkowskij」が初演されたことや、秋吉台での「プロメテオ」日本初演とその際の浅田彰のテクストなどが想起されるが、それ以外はほとんど知られていまい。

現在では、シェンベルクの娘=ノーノ未亡人の尽力によるアーカイブ「ARUCHIVIO LUIGI NONO」で情報を得ることはできるが、ブーレーズなどセリエリスム・アンテグラルに向かった作曲家が新ウィーン楽派の中でもヴェーベルンからの影響を受けているのに対し、厳格なセリー主義者でもあったノーノはヴェーベルンを経由せずにシェンベルクから影響を受けているとされることに対する今日的な視野からの研究はもちろん、その政治思想・姿勢と彼の音楽思想、語法、技法、そして活動とを結ぶ接線等については、今後の研究を待たなければならない。ノーノと同じくイタリア共産党員であり友人である指揮者のアバド、そしてピアニストのポリーニとノーノ三人を題材にした映画「A Trail on the Water」(DVD)が公開されているが、マニアには一瞥をお薦めする。

A Trail on the Water

いずれにしても、この「否・否」あるいは「非・非」と読める名前の男が喚起されてくる辺りも、それがすぐに「非在の非在」とか「否定の否定」などといった連想につながる辺りも、まさにモレキュラーの魔磁力というところか。またしても妄想が過ぎたようだ。

One Response to “ビオメハニカと非非”

  1. steorfan/sterben/starve to death « molecularmaniacs Says:

    […] ましてや「死にいたる」に至っては、沖縄の「デコイ」月島の「イル/イル」本郷の「マウスト」早稲田の「バレエ・ビオメハニカ」で上演テクストとして用いられた「シャティーラの四時間」(ジャン・ジュネ)とともに、今までのモレキュラーの「戦歴」を想起せずにはいられない。 ジュネ「シャティーラの四時間」鵜飼哲・梅木達郎=訳(インスクリプト) […]

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