いよいよ来週末

解説の回折的掲示。

chiyuki_tashima_BBB2_w009

TASHIMA Chiyuki "BBB-2" 2009, photo by ICANOF

昨年の前作『イルイル』は、三方の壁面を「四角い光面=プラージュ」が次々と振幅しつつ、俳優が光の中に現れては消えていくサスペンスフルな演劇であった。それが今作『マウスト』では、そのプラージュが床面に、つまり舞台面に横一列に配置されており、テクストの進行に応じて俳優が順次そこに、「光の口」の上に立つ。底なしの口に立つ身体、永遠に落下し続ける身体。ここで誰もが想起するのは、ルイス・キャロル『不思議の国のアリス』の冒頭、ウサギの穴に迷い込んで突然、落下し続ける少女アリス的なタイムスリップだろう。ただし『マウスト』では、画家矢野静明氏による『モダニズム芸術論』を上演素材としており、私たちは映画『戦場のピアニスト』のごとき「戦時下の芸術家たちの生きざま」へと、さらには「歴史意識の古層」へとタイムスリップする。しかしキャロル的サスペンスということでは、大きな違いはないと考えていいだろう。

びくとも動かぬ立像はいつしか「突き刺すような一撃」で観客を襲うようにみえるから不思議だ。そこがサイバーパンク演劇の「炸裂する急所」なのかもしれない。少なくともそれはセリフを吐く口ではない。身体の一部としての口ではなく、全身が口と化した、落下する空洞と化した立像。そこから『マウスト』と題された。どんなふうにアリスが妖怪や怪獣たちと闘ったのか。モレキュラーはそれに倣う。そして合言葉のように囁く。0h!キャロル!と。

画家矢野静明氏による未発表の論稿にもとづく新作『マウスト』では、端的に、演劇の「演劇性=シアトリカリティ」が明るみにだされます。いわゆる〈モダニズム〉にも〈ポストモダニズム〉にも、そのどちらにも依拠しないような〈第三の〉演劇的な主体というのは本当に可能なのでしょうか。そうした問いの身振りそのものが「シアトリカル」だと思われるのでしょうか。

2 Responses to “いよいよ来週末”

  1. Uma Says:

    sugoi! (^,^)

  2. steorfan/sterben/starve to death « molecularmaniacs Says:

    […] 然しながら「飢餓」とくれば、やはりこれだろう。 昨年末のモレキュラー公演「マウスト」での「鵜飼哲x豊島重之」アフタートークにおいて、黒田喜夫の名前が突如として甦生させられたことは記憶に新しい。 黒田喜夫「死にいたる飢餓」(国文社) […]

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