林と諸星

東北大学学生時代の豊島重之が東北大学新聞に投稿した「花を喰う魚のタナトス引かれ唄 あかり謙「・・・林静一論」への反論」が、モレキュラーシアター<provisional>に採録された。豊島による林静一論である。まだ探索できていない豊島の過去資料、たとえば「サンキスト同盟機関紙MDM」などを見る必要があるが、豊島のひとつの出発点/出発点のひとつがここにあるのかも知れない。

林静一は、現在では主に画家・イラストレータとして活動しているが、今週末の7月4日から公開される映画「美代子阿佐ヶ谷気分」に「俳優=ガロ編集長長井勝一役」として林本人が出演している。

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この「美代子阿佐ヶ谷気分」公開前日に「阿佐ヶ谷」の隣の「高円寺」(座・高円寺)で、TAGTAS結成プロジェクト「◆円卓会議「<大逆>と日本近代演劇の起源」」に報告者として豊島が出演するのも、奇遇に感じる。

いわゆるガロ世代でないと、林静一を知らないかも知れない。しかし、いまでもコンビニに行けば売っているロッテのキャンディー(少し前にソーダも発売された)「小梅」の「小梅ちゃん」のイラストなら思い浮かぶのではないか。これも林の手によるものだ。

02_0906_01小梅ソーダ

だが、当時の豊島が取り上げた作品群は、いまのイラストとは別の次元で成立するある種の「匂い」があったように記憶する。「演劇」的に読める作品(たとえば「山姥子守唄」)もあったかも知れない。豊島の林静一論から12年後、私は高校の帰りに書店で「つげ義春」「安部慎一」「諸星大二郎」そして「林静一」を立ち読みしていた。そういえば、豊島が数回に渡って言及している寺山修司が書いたのも、つげ義春論と林静一論だった。現在に至る豊島の活動の「背景」はあまり語られることがないが、背景のさらにそのまた下の下層には、たとえば林静一の作品から意識的/無意識的に投擲された「楔」が刺さっている(た)のかも知れない。かくして、モレキュラーマニアとしては、林静一作品の再読を(しかも古書で)余儀なくされるわけだ。

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モレキュラーの豊島が林静一論をかつて書いていたことが今回明らかになったが、これにはストンと腑に落ちるような微震を感じた。漫画という括りでみた場合、スコピオの及川がつげ義春と諸星大二郎を読んでいたことは、まだどこにも書かれていないだろう。及川から口頭で聞いたところによると「諸星作品が好きで色々と集めた」とのことだ。この辺りから豊島・及川の活動を見ていくような批評はまだないと思う(あるわけがない)が、豊島:林静一、及川:諸星大二郎という写像を読み解くことには意味があるかも知れない。

hayashi-sekishokuぼくとフリオと校庭で
林静一が処女作「アグマと息子と食えない魂」を発表したのは1967年、かたや東京都電気研究所の公務員だった諸星大二郎がデビューしたのは1970年の「ジュン子、恐喝」だった(処女作はその前に書かれた「硬貨を入れてからボタンを押してください」で、ユリイカに採録された)。

ユリイカ「特集:諸星大二郎」

1967年は日本血液銀行協会によって売血の全廃が決定され、第三次中東戦争が開始され、ニッポン放送の「オールナイトニッポン」が開始され、ミニスカートブームが到来し、マンガでは「天才バカボン」と「明日のジョー」が始まり、テレビでは「仮面の忍者赤影」と「ウルトラセブン」がそれぞれ敵と戦っている裏で、ジャッキー吉川とブルーコメッツが「ブルーブルーブルーシャートー」と歌っていた。また、新宿「凮月堂」界隈の動きも想起されるが、これは当時の状況等も含め、生き証人「フーゲツのJUN」氏が運営する「電脳・凮月堂」に詳しいのでここでは触れない。

そういえば、阿部寛が稗田礼二郎に扮した映画「奇談」(原作は諸星大二郎「生命の木」)は、東北の隠れ切支丹にまつわる話だが、これは青森県戸来村(現:三戸郡新郷村大字戸来)に着想のきっかけがあったのかも知れない。戸来村といえば竹内巨麿が連想され、竹内巨麿からは東日流外三郡誌が、東日流外三郡誌からは十三湊文化圏が、十三湊文化圏からは高橋克彦の「龍の柩」シリーズと戸来村の近くの某演出家が連想されて・・・・弾ける妄想は横に置くとして、諸星の作品の中でも「生命の木」は「初め(冒頭)にテクスト(の掲示)がある」という点で、他の作品と性格を異にしている。

そもそも でうすと敬い奉るは
天地の御主 人間万物の御親にてましますなり
はじめに 天地万物を つくらせたまい
また 土より五体をつくりて人となし
これ あだんとじゅすへるのふたりなり
ぱらいそに日本の天の木あれば かならず
食うことなかれと でうすかたく仰せあるを
じゅすへる あだんをたばかりて
あだんは まさんの木の実をとりて食い
じゅすへるはいのちの木の実を食しける(後略)

このテクストがまず提示され、「ぼく」の一人称で漫画が進行する。これはまさに自らが書いたテクストをさらに「翻訳」するようなプロセスにも見えるが、そういえば「翻訳演劇」という話も某劇団で・・・まったくもって相も変わらず、妄想は尽きることがない。

One Response to “林と諸星”

  1. 及川廣信氏の1967年 « scorpiomaniacs Says:

    […] しかし、昨日モレマニで書いたネタも1967年のことだったが、本稿もそうだ。もちろんこの程度のことで関連性などを指摘するわけではないが、1960年代後半に当時の社会状況下で「ある種の経験」をした人たちの一部が、1980年代になって新しい活動を始めたのかも知れない、と妄想すること自体は面白い。 […]

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