火蝿と夜光虫

モレキュラーシアターイリュミオール/イシュルシオール』のリーフレットには、

  • 生-政治学的な古層、いわば深海の発光体=イリュミオール
  • 「ILL=錯誤の/病んだ」夜光虫=イリュシオール

という記述がある。

これに対して、及川廣信に豊島重之が送ったメールでは、

  • イリュシオール=錯誤の、病んだ虫→病気で光らない虫=季節を間違った蛍→“ハエ”
  • イリュミオール=深海の発光体→人工的なまでに壮麗なスペクタクル=光景→“ハエ”のたかる屍体

と解題されている。

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豊島は、雑誌に掲載された自身による『イル/イル』ルポも含め、作品タイトルとは異なり、一貫して後者のイル=イリュシオールを先に書いているようだ。だからといって、ハエが主でハエのたかる屍体は従といった読みをするべきではないことは、言を待たない。

ところで、リーフレットでは、イリュシオール=「錯誤の/病んだ夜光虫」だが、上記の解題およびルポではなぜか「虫」とされている。これはなぜか。

夜光虫=Noctiluca scintillansはいわゆる「虫」ではなく海洋性のプランクトンであり、Wikipediaによれば、

大発生すると夜に光り輝いて見える事からこの名(ラテン語で noctis “夜”+lucens “光る”)が付いたが、昼には赤潮として姿を見せる。動物分類学では植物性鞭毛虫綱渦鞭毛虫門に、植物分類学では渦鞭毛植物門に所属させる

とある。葉緑体を持たずに他の生物を捕食する従属栄養性の生物(=heterotrophy)であることも含め、夜光虫が「両義性」を備えることからすると、モレキュラーに登場してきても違和感のないことばではある。

しかし、「病気で光らない虫=季節を間違った蛍」には、もう一段「仕掛け」があるのかもしれない。たとえば、季節を間違った蛍=「季違い」の蛍は、「病気で光らないわけではなくイレギュラに光る」ものであることを考えると、これは「ill」ならぬ「ir」のほうが近いと思われる(ir・reg・u・lar=不規則の、異常な、不揃いの、傷物)のだが・・・

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「きちがいじゃが仕方がない」(了念和尚/獄門島/横溝正史)

ホタル=Lampyridae – Luciolinae – Luciolaについてみれば、夜行性種はともかく、昼行性の種の成虫の多くはまず「発光しない」という。ホタル=光る虫は自明ではないのだ。また、一方の性のみ発光したり、他種の雌をまねて発光しその種の雄をおびき寄せて捕食したり、雄が一カ所で集団シンクロ発光といった差異はもちろん、ホタル=毒虫であることも、あまり知られてはいない。食べるとまずいことを知らせるために発光するようになったという説も、この毒虫であることに端を発する。毒虫、とくれば、モレキュラーにおいては毒虫=ザムザ—>カフカが想起されもするが、これも妄想にすぎない。

豊島は、「季節を間違った蛍」を、なぜ「ハエ(というほどのニュアンス)」としたのだろうか。

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脱線ついでに言えば、「ハエ」は「八工」かと最初邪推した。「八工」の通称で知られるのは、モレキュラーの本拠地=八戸市にある八戸工業高等学校のことだ。同校の校歌はなんと折口信夫作詞/山田耕筰作曲だが、ここに「八衢」という歌詞がある。八衢といえば、ニニギ=天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命が降臨する際にサルタヒコ=猿田毘古神が先導に出ていた神話、あるいは室町後期にはすでに演じられていたという島根県浜田市の石見神楽「八衢」が想起される。

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天孫降臨時に八衢に立っていた神=猿田毘古神は、鼻長は八咫、背長は七尺、目が八咫鏡(ヤタノカガミ)のように、またホオズキのように照り輝いている(天狗の原型とも)と形容されるが、「口や尻が赤く長い鼻」は80年代のモレキュラーを知る者からすると「パラサイト」を連想してしまう。

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さらに脱線すれば、モレキュラーにも縁がある青森県十和田市は、蛍の名所として著名であるだけでなく、蛍がつく地名=全国20カ所中5カ所が青森にある。

  • 青森県青森市大字浅虫字蛍谷
  • 青森県青森市大字駒込字蛍沢
  • 青森県つがる市木造柴田蛍沢
  • 青森県平川市切明蛍沢
  • 青森県北津軽郡中泊町宮野沢蛍澤

閑話休題。
蛍の英語名がFireflyつまり「火の蠅」であることから、蛍—>ハエという連想はひとまず了解できる。もちろん、『イル/イル』のアフタートークでも触れられたように、イリヤ・カバコフ『ハエの生活」の「ハエ」、およびテクストとして用いられたジャン・ジュネ『シャティーラの四時間』に登場する「ハエ」もある。さらに妄想すれば、カネッティ『蠅の苦しみ——断想』にも思い至らないではない。

しかし「火の蠅」は、モレキュラーにあっては「非/ヒのハエ」にリワーディングされているとしてもおかしくはない。

カバコフの「ハエの生活」(1992)では、エスタニロジーの観点も含め、内在的に「中心性」を備えたハエの問題、純粋構造としてのハエ(ハエ=多くの力点が交差する点であり、それらの力線はハエのまわりに法則性を伴った独特の「繭」をつくる)、ハエの音楽、「M」(「ハ」(エ))文明(ソ連科学アカデミー情報部による)などについて書かれている。ダンスという点では、クラシック・バレエの基本ポジションおよび「パ」が、あるハエの足の動きの影響を受けているらしい。

アフタートークのタイトル「ハエのための演劇をめぐって」には、イリヤ・カバコフ自伝の翻訳者=鴻英良氏が講師であることからしても、明らかにカバコフを連想させられるが、豊島が言う「ハエ」とカバコフの「ハエ」との関連性についても考えなければならない。

モレキュラーが取り上げてきた問題のひとつに「視覚」があるが、ハエの視覚は人間のそれと大きく異なっている。人間は1秒間に17枚程度の画像を連続して見せられると「動画」と認識するが、ハエは1秒間に 150~200枚の画像を見せないと「連続的」とは認識しない。この枚数はほぼハエの羽搏きと同じ速度を意味する。ハエは人間よりもはるかに素早く世界を把握しそれに対応していることになる。よって我々が「連続的」と感じている事象は、ハエの視点からすれば「離散的」ということだ。ここにも興味深い問題提起としてのハエがある。

前作デコイ=囮でも取り上げられた「侵入者/贈与としての単なる生」「腐肉の発話」といったアルフォンソ・リンギス的な視点との関係もみなければならない。「ハエのたかる屍体」ということは、ここで取り上げられているハエは「人の腐肉にたかる種類」ということになる(死んでからハエがたかったのか、ハエがたかって死んだのかは別として)。とすると、蝿蛆症、それも死肉や糞便で発生する種類のハエによる偶発性蝿蛆症を想起せざるを得ない。
ということは「目がホオズキのように赤く鼻が長い」こいつか。

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いずれにしても、(このサイトで書いていることは余りにも非本質的に過ぎるが)「SCOTOMATIZED MOMENT=盲面」を存立させている地層をどう顕在化するかを「演劇の外部」にこそ交響する「外部の演劇」を模索するモレキュラーが提起しているわけだから、「ハエ」の問題について引き続き考えていかなければならない。

2 Responses to “火蝿と夜光虫”

  1. niva Says:

    awesome

  2. 蹉陀、そして或いは白レ脳裏 « molecularmaniacs Says:

    […] とすれば、『イル・イル』から『マウスト』に相転移=パサージュする際に、白い方形は、「内」と「外」を隔てる壁面から「底」と「底の底」を接続する床面へ、垂直面から水平面へ、そして眼から口へと写像/逆写像されたのだろうか。 […]

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